10月26日(火)  P25
 カンヌに旅行に来ているイタリアの子ども達とのツーショット。日本人と見ると、彼らは「ペルージャ、中田!」の歓声で迎えてくれた。南フランスとイタリアは、日本ならば山形・秋田という隣県のイメージ。


写真11 子供たちと僕らのバス

2 ポールグリモー
 堀先生のポールグリモーを見ての第一声。
   「やってくれるよな!」
 これから見学しようとしている開発地は、中世以来の歴史的な建物を極力尊重したものと違い、周辺地域の農家や過去の歴史を忠実に学び、ゼロから創造した点で特記に値する、エポックメイクなまちづくりである。


写真12 ポールグリモーの全景
 ・昼食をとったカフェのメニュー表紙の写真

 フランスにおけるリゾート開発の歴史はこうだ。戦後、ラングドック・ルションと呼ばれる、藪蚊が発生するような人が入れない不毛の大地に資本を投入して開発を行うことが進められた。これは、フランス人が豊かな、人間らしい生活を過ごすために、余暇時間・アフターファイブを充実
させるべきと考えたからだ。しかし、時間を与え
 
ても余暇を過ごすための場所がない。
 従って、フランスは1960年代に一生懸命遊ぶ土地をつくった。それまでは、イタリアやスペインにバカンスに行くのが一般的で、夏のそちら方面への道路はたいへん混んだ。その渋滞解消とフランの海外流出阻止が目的でリゾートを国内につくった。
 最初は、例えばグランモットのように安い料金設定で誰でも行けるところ、夏の避暑地だけでなく冬のレザルクとかアボリアッツなどアルプスにバカンス基地をつくった。それは、容積率の高い巨大な箱形のビルが支配的だった。
 ポールグリモーは、スポエリというスペイン人の手によって、その地域にふさわしくない巨大なビルによる開発を行わず、周辺の漁民の家等を(歩いて)勉強して、その形を開発のモチーフとした。こうしたローカルアイデンティティー(建物は地域風土性によって全然異なる)は、それまでの開発にはなかったものであり、後に大きな影響を与えた。


写真13  ポールグリモーの玄関口


写真14 教会から見た玄関口周辺と船着き場
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