10月29日(日)     (セビリア)  P24
ホテル(9:00)[徒歩]→ピラトスの家→アルカサル→昼食→遊覧船→自由行動→夕食

 セビリア(Sevilla)市は人口約70万人の都会でアンダルシア(Andalucia)州の州都でもある。


写真1 グアダルキビール川

 市の中心をグアダルキビール川(Rio Guadalquivir)が静かに堂々と流れている。驚くことにコロンブスのアメリカ大陸発見後新大陸からの品々はこの川を利用し100kmも内陸のセビリアまで運び込まれ、貿易拠点として大いに栄えた。江戸時代に最上川の舟運で栄えた山形県内陸部の位置関係と似ている。日本においては特に都市の成立条件として川の存在は大きいが、水と人との関わり方についてはこの3回の研修を通じて考えさせられた項目の一つである。昨年の南仏ではエズやレ・ボーなどの町がどの様に飲み水を確保していたのか、籠城等という事態が生じた場合、どの様に生き延びるつもりだったのかは興味のあるところであった。
 スペイン特にアンダルシアを語るのにイスラム教とキリスト教との関係、確執は省略できない。セビリアは711年から1248年までの長い間イスラムの支配下に置かれ、グラナダ(Granada)は更に1492年までその支配下にあったという。そのためイスラム文化とキリスト教文化の関係・融合は今でも各所で見られ、本日午前の研修地アルカサル(Alcazar)は中世(913〜914)に建設が始められ、13世紀にイスラムからキリストに変わってからもその改築手法として「付け足し」が進められており、各所にイスラムの名残を今に伝えている。
 我々は9時15分にホテル・ドン・パコ(Hotel don PACO)を歩いて出発した。今日はセビリア市内、アルカサルを中心に堀先生から景観の生きた講義を聞く予定だ。銀山藤屋の藤さんをナビゲーターとしてピラトスの家(Casa de Pilatos)からサンタ・クルス地区(barrio de Santa Cruz)を経由しアルカサルに入った。
 

写真2 ブロックの味

 ピラトスの家はタリファ侯爵によって16世紀に建てられた。ピラトスとはキリストに死刑判決を下したローマの総督とのことだが、もちろん年代的に彼がこの建物を造ることは無理で、タリファ侯爵がエルサレムに滞在していたことからピラトスはこのような家に住んでいたのではないかと人々が想像したのでこの名が付いたらしい。家の前の道路に面してちょっとした広場があり市松模様にブロックが敷かれてあった。


写真3 厚さ24mmのブロック

 小石を有効に使った面白い表情のブロックではあったが24mmの薄さということで壊れているものが多く折角の味が損なわれ、もったいない気がした。
 なお、昨年の南仏でも感じたことではあるが、歩道や小幅員の舗装を天然の小石で味わいよく造っている事例が数多くあり、歴史に裏付けされた彼らの考え方が表れていて、とてもいい感じを持つことが出来た。我々も公園や道路事業のちょっとした園路や歩道舗装を造るのに参考になると思えた。(車椅子の人の使い勝手はとても良いとは思えないが)
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